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明日朝一番で寄宿舎に戻るからと、小さな弟の誕生会を中座して自室に向かう煌の背中を、早々に、小さな弟の声が抱きしめるように呼び止めた。 一呼吸置いて振り返る。 ルネサンスを模した天井から、天使の群れが見下ろす暗い廊下で、王子朗が、色鉛筆の匣を本当に大事そうに捧げ持って煌を仰ぎ見ていた。 その透き通る青の視線、幾度となく突き放してきても、宿る揺るぎない信頼感は失われない。 「ありがとう、兄様、これ、僕が欲しいとねだったのを覚えていて下さったのですね。」 2年前だった。 煌を後継者と溺愛する祖父の、中等部進学の祝いに何でも望むがよいとの言葉に、ではステッドラの水彩色鉛筆をと応え、その物欲を離れた物言いは、祖父を大いに満足させた。 広いテーブルの隅で、いつもは退屈な祖父を招いての茶会をただやり過ごしていた王子朗は、迂闊にティスプーンを鳴らしてしまった。 『色鉛筆…』 祖父の険しい眼差しに気づかず、王子朗は、傍らの母親の袖を引いた。 『僕も欲しいな』 祖父の拒絶より早く、煌が、母親の甘言を封じた。 『お前にはまだ必要ない』 ひ弱な弟が、中庭の薬草園を臨む回廊で、日がな一日スケッチをブックを抱えていることは知っていた、歳に似ぬ細密な描写が、花好きの母を喜ばせていた事も。 しかし、それは祖父には不興であり、煌にとってもまた、別の意味で好ましくなかった。 物言いたげな母親の先手を打って、煌は続ける。 『貴女は、王子朗に甘すぎです。もし、僕がいなくなったら、彼が家督を継ぐのです。自覚して下さい。』 母親の懇願や祖父の異論は受け付けないとばかりに、煌は席を立ち、茶会はお開きとなった。 2年前より、王子朗は少し背が伸びたが、甘えるような舌足らずの口調は変わらない。 母親が側に置きたがる幼さは、もしや故意かもしれぬと思わせる、煌があまりに母親に冷淡な故に。 『ありがとう、兄様。嬉しい、大事にします』 無言で頷き、背を向ける、その背を、色鉛筆ごと今度は実際に抱き留める。 小さな腕を回されて、煌の心臓が、思いがけず高鳴った。 『もうひとつ、ありがとう。僕ね、兄様と同じ学校に行きたかったの。お祖父様と母様を説得して下さったの、兄様でしょ』 弟の髪が、言葉に合わせて、煌の首筋を甘く擽った。 腕を解こうと触れた小さな手は、きゅっと色鉛筆の匣ごと煌のジャケットの縁を掴んで放さない。 言い切るまで放さない積もりなのだろう、小さな弟の籠もった声が、背中から煌の胸を震わせる。 『お祖父さまから、言われました、お前は影だ、その分を心得るなら、同じ学校に行かせようと。母様が、少し涙ぐんでいらっしゃった…どちらも、兄様がご挨拶にみえたすぐ後の事です。母様は、寂しくなると僕を抱きしめられたけれど、少し嬉しそうだった。…お二人に兄様が頼み事なさったからです、そうでしょ?』 Copyright (c) 2008-2011 Tenshibako All rights reserved. |
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