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「歩いてたら、壊れて…もう履けないと思ったから。」
事実だが深層ではない言い訳を吐く石瑛に、水晶が、いきなり古靴を投げつけた。
顳の痛みが、これが現だと石瑛に教えた。
更に、水晶は沼の水を掌で叩いて、岸辺の石瑛に浴びせる。
石瑛も負けじと、薄い雪をかき集めて、水晶に投げつけようとして、甲に薄く残る暴力の痕跡に、瞬間、動きを止めた。
骨も筋も傷めなかった、水晶の行動に驚き悲鳴をあげたが、顧みれば、痛みは然程でもなかった。
下腹部を抉った靴先も、巧妙に急所を外していた。
「助けてやったのに。」と不興げに眉を寄せた水晶の言葉通り、公衆で蔑み虐ぶる事で、結局の所、自分は護られたのではないのか。
実際、以降、石瑛に絡む生徒は、誰一人居なくなったではないか。
あの時、水晶が図書館に現れたのは、本を返す為の偶然ではない、何故なら、手にしていた本は、石瑛の蔵書だったのだから。
水晶は、石瑛が初め信じた通り、助けに来てくれたのだ。
不義の子と偽った意味も、今なら通じる。
次の瞬間、石瑛は、解ける程に柔らかく掴んだ雪玉を水晶に投げつけた。
雪は防御する水晶の腕で、儚く舞い散った。
そうして、雪と水は、少年達が疲れ果てて、互いに抱き合って岸辺に倒れ込む迄、銀色の弧を幾つも幾つも描き続けた。
「死ぬな。」
水晶が、石瑛のオーバーの襟首を掴んで耳元で囁く。
「死なないよ、天国に居場所はなさそうだもの。」
石瑛が、濡れた水晶のシャツに唇を寄せて言い返す。
軽口を叩ける程にあっさりと、あれ程赦し難いと思っていた相手を、赦していた。
「馬鹿…」
水晶が、更に強く抱き寄せて囁いた。
夜気が背中から這い寄り、水晶と石瑛は同時に嚔をした。
今に至って初めて、二人は凍える冬の寒さを意識した。
「戻ろう。」
水晶が誘い、
「うん。」
石瑛が応えた。
自分の方が酷く汚れ濡っているのに、手早く布で身体を拭いて夜着に身を包んだ水晶は、湿って纏わり付いた肌着を遅々と引き剥がしている石瑛を、そのままでいいからと制する。
ガウンをふわりと肩から被せ、暖炉の前に椅子を引き寄せて座らせると、青い縁の琺瑯の洗面器に湯を湛え、冷え切って腫れた石瑛の足を沈めた。
指の股をひとつずつ清め、爪の泥を掻き出して、丁寧に洗う。
その下僕のような甲斐甲斐しさに、石瑛は身の置き所がない。
「自分で…」
言いかける石瑛を、目線をちらりと上に走らせ、黙らせる。
「僕は罪人だから、ちょうどいい。」
「それなら、僕だって…」
互いが赦しあっても、神は赦さないだろうと、二人ともにわかっていた。
否、自分達以外、誰一人赦しはしないだろうと。
水晶に足を洗われているだけで、その行為に性的な意味などないにも関わらず、石瑛の身体の奥が滾ってくる。
熱を帯びる百合の蕾を恥じ、脚を閉じようとするが、水晶が動かないでと膝を押さえる。
夜着に透けて、水晶の欲望も仄見えた。
「僕らは一緒だ。」
綺麗に拭った石瑛の足先に、水晶が身を屈めて口づけた。
方解石・完
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