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「煌…兄様!」


追い縋ろうとして、色鉛筆の匣が滑り落ち、パンと硝子が割れるような音と伴に蓋が外れ、寄宿舎の廊下に虹色が散らばった。

あぁ、もぅ!…と自分に舌打ちして、屈んで拾い集めようとする。

兄の姿は、舎監室の扉の中に消えていた。

「なぁにやってんだょ、ドジッ子」

肖綺の声が降ってきて、一緒になって拾い集める。

「いいよ、一人でやるから」

思わず尖った声が出た。

兄の助けになる所か、自分自身の面倒さえみられない有様が情けなかった。

「ぁあ、そうだ、ごめんな」

手を止めて、突然、肖綺が謝罪してきたので、傷つけてしまったかと、狼狽たえて表情を伺う。

続く肖綺の言葉は、明後日の方からやって来た。

「日曜の外出、ダメになった…モノを売り買いするイベントには行くなって、舎監の先生が…。どう思う? 売り買いって罪悪かよ? 全て世は等価交換じゃん?」

何と応えればいいのか、王子朗が戸惑っていると、「じゃあ、等価交換するかい?」と、微かに笑いを含んだ声がした。

舎監室の扉を背に、紙束を抱えた兄が、2人を見ていた。

「6月の創立祭の案内状を発送するんだけど、手伝ってくれるななら、舎監の先生に交渉してあげるよ」と、条件を示す。

煌の先生方に置ける信頼は絶大だ、交渉は即ち許可を意味する。

「では、成立!ということで」

肖綺は、喜色を浮かべて、煌の手から紙束を奪い取ると、作業場だと教えられた生徒会室に、一目散に走り出した。

王子朗は、黙ったまま、散らばった残りの色鉛筆を、また拾い出した。

決して自分には向けられた事のない兄の軽口、対等に返す肖綺の爛漫…胸を突き上げる焦燥が涙を誘った。

しかし泣いてはならない、兄の手助けにならないなら、せめて失望される事は避けたかった。

廊下の隅に飛んだ最後の碧灰の色鉛筆を拾い上げたのは、煌だった。

礼の言葉が、詰まって上手く出ない。

手渡しながら、煌が礼を言った。

「ありがとう」

一瞬、意味が全く取れず、次の瞬間、数年前、誕生日に贈ったモノを、今だに使っている弟への素朴な喜びの表示なのかと思い至ったが、継いだ煌の言葉は、意外だった。

「お前が居てくれるから、僕は、今、ここに居られる」

当惑をそのままに浮かべて、王子朗は煌の瞳を見上げた

「煌兄様?」

煌は、口の片端だけを上げて、ついぞ見せた事のない不思議な微笑みを浮かべた。

「お前が、そう呼んでくれたから、僕は…」



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